++タオ島ログ++

マラドーナイズムの継承

6月28日 お天気:やや南よりの風朝方曇り→太平洋高気圧に覆われ午後晴れ 水温:30℃  透明度:5,2m〜7,4m

【ポイント】  ラムティアンケーブ → アオルーク

【見られたお魚】

潜降ロープを上がったり下がったりのコガネシマアジの幼魚×4:今年はあんまり発見されないチョウチョウコショウダイ幼魚:先日訪れた琉球大学ハタンポ研究のお客様によりミナミハタンポでは無い事が判明コタオハタンポ(仮称):今日は単独ロクセンヤッコ:JAPANブルーのワヌケヤッコ:尾びれにメスを持つテングハギ:紀元前に栄えたケーブだらけのラムティアン海底遺跡(嘘):体中にヘドロが付着オニカサゴ:今日はお腹いっぱいソリハシコモンエビ:岩場をガシャガシャスザクサラサエビ:今日は髭だけオトヒメエビ:Vネックで左右に踊るアカシマモエビ:エイ岩に少々バラクーダの子供:新しい10円玉の様な体色メタリックシュリンプゴビー:蛍光サンゴが美しいトウアカクマノミ:ハッチアウト目前!アオリイカの卵と卵の中の子供:ミドルキックならぬ砂地キックを食らい視界を奪われる2人の日本人:etc・・・


時は1986年、小学校4年生だった筆者はその時初めてW杯というものの存在を知った。当時キャプテン翼が大ブームを巻き起こし、我々より上のドカベン野球世代からサッカー世代へのゆるやかな過渡期に差し掛かっていたような気がする。メディアという分野においては原、中畑、クロマティ等のスターを要する巨人野球が圧倒的に強く、サッカーに熱中しながらも、ジャイアンツを応援するという精神的ねじれ構造が構築されつつあった。


そんな中でのW杯メキシコ大会の開幕である。サッカーがテレビで見れる!という喜びも当然あったが、日本以外のサッカー選手が数多く出場、どこが強いのか弱いのかもはっきりとは分らないというメディアサッカーに対する知識の乏しさは否めなかった。しかし、その中に小学生にも明らかに分る圧倒的に早くて巧い選手がいた。その人こそ、当時神と言われたアルゼンチン代表ディエゴ・マラドーナである。


当時センターフォワード(トップという言葉はまだ浸透していなかった)だった筆者は、マラドーナの流れるようなドリブルと驚くほど正確なシュートに魅了された。そして、絶好調マラドーナ率いるアルゼンチン代表は見事優勝、人々はこの大会を『マラドーナのマラドーナによるマラドーナのための大会』と呼び、数々の伝説的プレーを脳裏に刻み込んだのである。しかし、その大会をほぼ最後にマラドーナの勇姿を見ることは少なくなる。栄光を掴んだ彼の周りには淀んだ空気が流れ、薬物での逮捕や奇怪な行動がニュースになり、残念ながら、神様とまで言われたピッチ上の彼の姿は永遠に封印されてしまった。栄光とは転落の第一歩であると良く言うが、まさにそれを体現してしまったスーパースターの末路であった。


本日のダイビングは筆者自身も2日ぶり、マンツーマンでのファンダイブとなった。スケジュール的には、サウスウエストの日であったが、今回は東側のラムティアン、アオルークが選択され、久しぶりに行く裏側のポイントに、ガイド魂を刺激される筆者。DMT時代、数百メートル流された経験のあるラムティアンだけに、慎重に事を運び、慎重にロープから潜行。透明度は予想通り5mあるかないかの状態ながら、ここからがドラスティックケーブと呼ばれる海底遺跡ラムティアンの真骨頂。人が1人ギリギリ通れるチャネル(水路)を抜けると連続巨大ケーブが姿を現し、その中にはコタオハタンポ(仮称)の姿も・・・。訪れる度に新しいルートが発見される奥深さに感動し、透明度の悪さを払拭するダイビングとなった。


2本目のアオルークは久しぶりに戻ってきた暗黒世界。現在のテキサスコロニーを思い出させるヘドロの溜まりっぷりに打ちひしがれ、スタンダードなコースを選択。エビに手をクリーニングしてもらい、さらに南へ。移動中、コンパスのみをこれだけの時間見た記憶が無いぐらい角度に注意を払い、青岩からエイ岩へ。そっから砂地を少々、メタリックシュリンプゴビーとトウアカクマノミ、アオリイカの卵とアオルークらしくまとめたダイビングであった。


今年マラドーナは監督としてW杯のピッチに帰ってきた。時が過ぎるというのは悲しい事ではあるが、マラドーナのような往年の選手が戻って来るのを見ると心の底から嬉しさがこみ上げる。一方、代表チームの中心であっても力の衰えによって、あっという間に選手は入れ替わる。このような競争という概念は無いが、ダイブショップも同じようにスタッフの入れ替えは激しい。やはり何十年もスタッフが変わらないというのは物凄く魅力的な反面、それ故物凄く難しいのである。


しかし、人が入れ替わっても、ショップの根底にある精神的なものは【〜イズム】として受け継がれて行く。受け継がれた【〜イズム】はここで育ったインストラクターによって、あちこちの海でさらに成熟し、自分のダイビング哲学となっていく。


蘇ったマラドーナのようには行かないが、体型だけでも近づく為、8月に戻って来るDMTコバさんと常に食事を一緒にしようと考えるタオ島の昼下がり、36歳独身の独り言であった。
2010年06月28日(月)   No.814 (ダイビング(写真あり))

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2010年06月28日(月)
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