4月12日 おそらく今日は一回も雨降らないだろうな的晴れ? 透明度 10m〜15m
【ポイント】 AM:シャークアイランド ⇒ アオルーク
【見られたお魚】
巨大スギのプチ群れ:イエローテールバラクーダの子供群+成魚群:トウアカクマノミ:ナデシコカクレエビ:トゲトサカテッポウエビ:ワカヨウジ:クリアークリーナーシュリンプ:スザクサラサエビ:モクズショイ:マスクドシュリンプゴビー:オトヒメエビ:ツキチョウチョウウオ:ハナビラクマノミ:タカサゴ:ユメウメイロ:アオマダラエイ:ヒトヅラハリセンボン:ダツ:オニカサゴ:ゴマモンガラ:ブチウミウシ:etc...
【本日の認定ダイバー】 ☆。.:*:・'☆・:*:.。.:*おめでとうございまぁ〜っす'・:*:.。.:*:・'゜:*:・'゜☆
★OW取得者★ 『インさん』
『戻ろう。戻ればまた来る事が出来る』
1943年日本兵6000人が取り残されたキスカ島に向かった木村少将の言葉である。当時、キスカ島はアッツ島の陥落により完全に孤立し、残された守備隊は死か降伏かの選択を迫られていた。キスカ島撤退作戦を命じられた木村少将は、周辺海域を覆う濃霧に紛れて救出を試みたが、途中霧が晴れ、アメリカ軍に発見される危険性を考え、その日の突入を断念した。
今日のダイビングはまさにこの状況であった。一本目の鮫島の透明度、流れともに厳しく、4人を率いる34歳の青年ガイドは選択を迫られる。
『いこう!』
水底付近の透明度50センチの中、1.5mクラスのスギ4匹に遭遇。トゲトサカ畑から、トウアカクマノミを臨み、500匹クラスのイエローテールに巻かれながら、無事帰還に成功する。
キスカ島に突入せず、手ぶらで帰って来た木村への批判は凄まじかった。果てには連合艦隊司令部、さらに大本営から『何故、突入しなかった!』等々轟々たる非難を浴びることとなる。しかし、木村は意に介せず、濃霧の発生をじっと待ち、約一ヶ月後、再び突入し、無傷での撤退作戦を完了させたのである。
50センチの透明度の中を進みながら、この言葉を思い出した。時には、戻るのも勇気であると。指揮官の勇気ある選択が、6000人の命を救ったのだ。ガイドは水中で常に選択に迫られる。この時に、どの状況でどの判断を下せるか。すぐれたガイドとは、その判断が早く正確なのであろう。
ソンクラーンを明日に控え、若干浮足立った雰囲気のタオ島。いつものログの雰囲気と変えたいと考え、天声人語風にアレンジしてみる。中々よく書けているなと自画自賛をするものの、最後まで読んでくれない不安も頭をよぎる34歳青年ガイド。その後、将来のダイビング界をしょって立つ存在になることをこの時彼はまだ知らない。
|